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第25回帝王賞回顧  6354人目の訪問者です
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帝王賞 歴代優勝馬

帝王賞 歴代優勝馬
年月 距離 馬名 性齢 騎手 調教師 賞金
1 1978.4.27 2800 ローズジャック 牡6 阪本泰之 荒居(大井) 2500
2 1979.4.23 2800 ハツマモル 牡5 福永二三男 朝倉(大井) 2500
3 1980.4.10 2800 カツアール 牡5 高橋三郎 秋谷(大井) 2800
4 1981.4.28 2800 アズマキング 牡5 岡部盛雄 岡部(大井) 2800
5 1982.4.19 2800 コーナンルビー 牝5 堀千亜樹 遠間(大井) 2800
6 1983.4.18 2800 トラストホーク 牡5 高橋三郎 武智(大井) 2800
7 1984.4.11 2800 スズユウ 牡7 石川綱夫 朝倉(大井) 2600
8 1985.4.18 2800 ロツキータイガー 牡5 桑島孝春 泉(船橋) 2500
9 1986.4.9 2000 トムカウント 牡8 石崎隆之 江川(船橋) 2600
10 1987.4.8 2000 テツノカチドキ 牡8 佐々木竹見 大山(大井) 2800
11 1988.4.13 2000 チヤンピオンスター 牡5 桑島孝春 秋谷(大井) 3400
12 1989.4.12 2000 フェートノーザン 牡7 安藤勝巳 吉田(笠松) 4000
13 1990.4.11 2000 オサイチブレベスト 牡7 丸山勝秀 土門(JRA) 4500
14 1991.4.3 2000 チヤンピオンスター 牡8 高橋三郎 飯野(大井) 5000
15 1992.4.15 2000 ナリタハヤブサ
ラシアンゴールド
牡6
牡5
横山典弘
蛯名正義
中尾(JRA)
大久保(JRA)
3915
16 1993.4.12 2000 ハシルショウグン 牡6 的場文男 赤間(大井) 5800
17 1994.4.12 2000 スタビライザー 牡7 柴田善臣 高橋(JRA) 5500
18 1995.4.13 2000 ライブリマウント 牡5 石橋 守 柴田(JRA) 7000
19 1996.6.19 2000 ホクトベガ 牝7 横山典弘 中野(JRA) 7000
20 1997.6.24 2000 コンサートボーイ 牡6 的場文男 栗田(大井) 7100
21 1998.6.24 2000 アブクマポーロ 牡7 石崎隆之 出川(船橋) 7100
22 1999.6.24 2000 メイセイオペラ 牡6 菅原 勲 佐々木(岩手) 7000
23 2000.6.22 2000 ファストフレンド 牝7 蛯名正義 高市(JRA) 7000
24 2001.6.26 2000 マキバスナイパー 牡6 K.デザーモ 岡林(船橋) 8000

帝王賞 レース紹介  by KKK

帝王賞、交流競争へ
 帝王賞の歴史・・・それは即ち中央との交流競走の歴史そのものと言い換える事もできる。
 遡れば、中央と地方の交流競走は1973年(昭和48)に競馬法施行50周年を記念して『地方競馬招待競走』が東京競馬場で行われたのが最初である。
 翌春に大井で『中央競馬招待競走』(距離1800m)が行われ、以降1年おきに中央・地方で交互に招待競走として行なわれていた。
 帝王賞自身の創設はこれより5年後の1978年(昭和53)。5歳以上(旧表記)、距離2800mという条件で始まった。
 性格的には「南関東春のダート王決定戦」という趣ではあったものの、このレースを勝利した馬は隔年実施の中央競馬招待競走でも好成績を収めており、その中でもカツアールやアズマキングといった一時代を築いた名馬は帝王賞と中央競馬招待の両方を制している。

 その交流の歴史に1つの変化が訪れたのは1986年(昭和61)。この年隔年実施の招待競走が発展的解消を遂げ、中央競馬において『オールカマー』が地方競馬招待競走となり、同じく大井の帝王賞もこれを受けて中央競馬招待競走として生まれ変わることとなった。
 その中央交流初年度の帝王賞を制したのは船橋のトムカウント。鞍上は当時中堅の域にさしかかろうとしていた石崎隆之その人である。
 これ以降、若干の施行時期の変遷はあったものの、古馬オープン、距離2000mという条件は現在まで変わることなく続けられている。
 中央交流が始まった当時の帝王賞はやはり圧倒的に地方馬優勢で、1990年(平成2)にオサイチブレベストが優勝するまでは地方馬の独壇場だった。


ホクトベガ
第19回優勝馬・ホクトベガ(1997年)
 Photo by M.Tomoya
数々の名勝負が
 その中でも印象深いのが1988年(昭和63)と1991年(平成3)の2度にわたって優勝したチャンピオンスター。そして1989年(平成1)優勝のフェートノーザン。
 前者は2度目の制覇の時の「お前がチャンピオンだぁ!!」という及川暁アナウンサーの名(迷?)実況が印象深く、後者はこの年に2つ目の中央交流レースとして創設された道営のブリーダーズゴールドカップとのダブル制覇を成し遂げた笠松の名馬である。
 しかし、中央馬も年々レベルアップが図られ、出走馬の質も年を追う毎に上向いてきた。1992年には中央馬同士による帝王賞史上初の1着同着(ナリタハヤブサ&ラシアンゴールド)もあった。

 そして1995年には交流ダート路線を破竹の快進撃で突き進んでいたライブリマウント、翌96年にはダート交流無敗の名牝ホクトベガという大物が参戦。
 特に後者はナイターの入場者レコードを更新する77000人余が大井競馬場に集まり、それこそ「馬券を買うか、レースを見るか」の二者択一を迫られる程の混み具合だったのは記憶に新しいところである。

 そして1997年にダートグレード制定、統一GIとして格付けされ、名実共に「春の日本ダート王決定戦」として位置づけられる。
 GI格付初年度の帝王賞を制したのは地元大井のコンサートボーイ。以降船橋アブクマポーロ、水沢メイセイオペラと地方勢3連覇。2000年こそ中央ファストフレンドの軍門に下ったものの、昨年は船橋マキバスナイパーが名手・デザーモ騎手の手綱に導かれ、弾かれるような勢いで直線抜け出し快勝。ついに統一GIホースとして頂点を極めることになった。


最高の勲章レースとしての期待
 あくまで私見ではあるが、秋の交流ダート路線は南部杯・JBC・ジャパンカップダート・東京大賞典、年が明けてフェブラリーステークス・川崎記念という感じで路線が分散してしまい、なおかつどのレースも「交流競走」という肩書きが後付け的に増やされた感が強く、本当の意味での「ダート日本一決定戦」としての興味を考えるとどれも「頂点」にはなり得ない印象を抱く。

 そういう意味では中央との交流の歴史、地方競馬としての象徴的存在のレース、そしてクラシックディスタンスでの頂点を決める「ダート王決定戦」としてはこの帝王賞が名実共にふさわしい一戦であり、今後も名勝負が展開されること、そして、このレースを勝ち得ることがその馬にとって最高の勲章となりえる位の高レベルのレースが今後も展開される事を願って止まない。
 これこそが交流の歴史を支えてきた帝王賞というレースの持つべき意味合いでもあり、これからあるべき道筋だろうと思う。


昨年の成績

第24回帝王賞結果  2001/6/26大井(天候:晴/良)
馬名(勝ちタイム) 性齢 騎手 厩舎
1 マキバスナイパー
 (2.04.4)
牡6 デザーモ 船橋)岡林
2 リージェントブラフ 牡5 吉田 豊 JRA)大久保
3 インテリパワー 牡6 石崎隆之 JRA)秋山
4 ミツアキサイレンス 牡4 川原正一 笠松)粟津
5 トーホウエンペラー 牡5 村上 忍 岩手)千葉
6 ドラールアラビアン 牡6 的場文男 大井)赤間
7 デリケートワン 牡7 佐藤祐樹 船橋)鈴木
8 エビスヤマト 牡6 向山 牧 高崎)赤間
9 タマモストロング 牡6 小池隆生 JRA)佐藤
10 ワールドクリーク 牡6 後藤浩輝 JRA)新井
11 ファストフレンド 牝7 蛯名正義 JRA)高市
12 サンデーツヨシ 牡5 早田秀治 大井)赤間
13 イナリコンコルド 牡6 内田博幸 大井)福永


マキバスナイパー
第24回優勝馬・マキバスナイパー Photo by M.Tomoya

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