3963人目の訪問者です (2002/4/7up)
2001年に活躍したアラブの名優達を振り返ってみましょう!
(馬名をクリックすると画像が観れます)
年齢は2001年での馬齢表記 / 使われている画像は無断使用厳禁
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(北海道)
ミールテイオー
Photo by しも 『月光特別』(1着) 2001.7.25旭川
牡馬2歳 鹿毛 父サバンナテイオー
【重賞勝ち鞍】 ジュニアチャンピオン(01'門別)
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ミールの乗った時の感触から言いますと、非常におとなしく、レースでは結構ズブい馬です。
馬の馬体から見ると短距離よりも長距離の方がもっと持ち味が持ち味が出せる様です。
今の北海道競馬ではアラブのレベルもそれほど高くないのでミールの独占状態になってしまいましたね。調教中に骨折してしまいましたが今週中(2月最終週)にも入厩予定です。
今から乗り出すと開幕週から間に合うかどうかは未定ですが、レースの内容によっては地方遠征も視野に入れています。
今年もうちの厩舎(=米川伸也厩舎)に3頭のアラブの2歳馬が入厩しました。ナイスフレンドの仔とイムラットの仔、ニホンカイユーノスの仔が入りましたが、イムラットの仔が結構走りそうです。厩舎はジュニアチャンピオン3連覇に向けて期待しています。
Comment by 齊藤正弘ジョッキー(ホッカイドウ競馬所属)
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(上山)
アオイリュウセイ
Photo by くもぎりまる 『奥の細道大賞典』(1着) 2001.11.20上山
牡馬4歳 鹿毛 父ホーエイヒロボーイ
【重賞勝ち鞍】 奥の細道大賞典(01'上山) コスモス賞(00'上山) 日本海記念(00'上山) スズラン賞(00'上山)
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上山と聞けば全日本交流で活躍しているペルターブレーブの名が真っ先に出てくる人がほとんどではないだろうか。ここで紹介するアオイリュウセイはそのペルターブレーブの牙城を切り崩した1頭なのだ。
楠賞全日本アラブ優駿に挑戦、日本海記念でマルハチフレンド以下を完封するなど3歳ナンバーワンの座を不動にしたアオイリュウセイ。暮れの大一番・奥の細道大賞典で打倒ペルターブレーブの1番手として期待されたがまったくの見せ場なしで8着と惨敗してしまう。
あれから10か月…。厩舎でゆっくりと休養していたリュウセイは翌年9月にゆっくりと始動した。初戦こそ快勝だったがA1級相手の競馬は長期休養明けでは厳しかったのか2・2・3着と勝ちきれない。しかし目標は奥の細道大賞典1本だったのである。
11月20日。上山アラブ王者決定戦は2300mの長丁場。アオイリュウセイは中段でじっくりと構えるが2周目向こう正面で一気にスパート、手応えの悪いマルハチフレンドをあさり交わし後続を突き放して直線へ向く。
ペルターブレーブが意地の鬼脚で追い上げるがすでに遅し、アオイリュウセイは鮮やかにゴールを駆け抜けた。
昨年のリベンジを果たしたアオイリュウセイの復活劇。これからの主役は俺だとアピールしているようだ。
Comment by くもぎりまる
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(新潟)
ラブリーハート
Photo by 江戸平多 『銀蹄賞』(3着) 2001.6.3三条
牝馬5歳 鹿毛 父ディシダン
【重賞勝ち鞍】 新潟アラブ大賞典(01'三条) 新潟アラブ大賞典(00'新潟) 銀蹄賞(00'新潟)
銀嶺賞(00'三条) アラブ王冠(99'三条) 新潟平成カップ(99'三条) アラブ栄冠('99三条)
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ラブリーハートをひとことで言うと「記録には残り、記憶には残らない」という、あまりありがたくない言葉でしか表現出来ないでしょうか。重賞タイトルは実に7勝。この数はアラビアンエースをしのぎ、イチコウワールドに並ぶ平成以降の最多タイ。牝馬としてもエンドレスランに並んで新潟県競馬史上タイ。
しかし、いつか負けるいつか負けると思われながら勝ち続けてきたというのが正直なところで、中にはラブリーフレンドやラブリーマークと勘違いする人もたくさんいたりで(ばんえいにも同じ名前の馬がいましたが)、どうしても地味なイメージのほうが先行しています。
交流重賞タイトルも無いし、他地区への遠征もわずかに一度。勝っても常に僅差で、数多い重賞挑戦の中で一番人気に支持されたのがわずかに2回だけ。見栄えのしない馬体に加え、鞍上も山口高。よくもまあ、こんなに地味な条件が揃ってしまうものです。
しかしです。例え地味でもこの馬が持っていた恐ろしいほどの勝負根性は輝きがありました。例えスター性は無くとも、素質はなくとも7つものタイトルを積み重ねていけたのは、この勝負根性があったからこそ。
この馬の最大にして唯一の持ち味だけ、晩年の新潟県競馬アラブを最後の最後まで支え続けていたのは紛れも無い事実です。
Comment by きくたけ
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(金沢)
ダイリンフラワ
Photo by ユーノすけ 『中京スポーツ賞』(1着) 2001.9.2金沢
牝馬3歳 栗毛 父トライバルセンプー
【重賞勝ち鞍】 中京スポーツ賞(01'金沢) 農協牛乳杯(01'金沢) アラブ3歳優駿(00'金沢)
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ダイリンフラワである。そのウリといえば、向こう流しから三角手前、弾かれたようにたたみかける捲り脚。首の高い、決して垢抜けたとは言い難いフォームではあるが、推進力、破壊力は出色である。
この豪脚をもって、イセイチフブキ、ホーエチャンピオンといった、全国屈指の強豪を屠った農協牛乳杯に中京スポーツ賞は、この馬の限りない素質と可能性、将来を感じさせるに充分なものであった。が・・・
そうは容易く事が運ばぬのが現実。地元3歳重賞アラブ大賞典、古馬重賞石川テレビ杯と北國アラブチャンピオンを、同じ3歳サクセスフレンドに奪取され、ファンの期待をあっさりと裏切ってみせた。
実はこのあたりが、観る者の期待・見込み通りに走らないという、この馬のもう一つの大きな個性。思い起こせば楠賞、前走持ったままの楽勝を演じ、この様を参考VTRにて目撃した者の期待を、殿負けで見事に裏切った。イセイチやホーエを下したのも、一面想像以上の結果とも。そして晩秋の不振。"気ままな才女"とでも、通り名を進呈したくなってくる。
とするならば、昨季終盤のイマイチさも、"気ままな才女"にとっては「2002年、華やかな復活」への前フリだったりして。はたまた「金沢筆頭なんて看板、関係ないわ!好きにさせてよ。」と思っているのか。
さあ、どうなんでしょう?
Comment by ユーノすけ
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(名古屋)
マリンレオ
Photo by West Side 『セイユウ記念アラブグランプリ』(2着) 2001.6.24金沢
牡馬5歳 栗毛 父レオグリングリン
【重賞勝ち鞍】 シルバー争覇(01'名古屋) 名古屋競馬場開設記念(01'名古屋) シルバー争覇(00'名古屋)
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マリンレオにとって大きく飛躍する年となった2001年度最大のパフォーマンスを魅せたのはセイユウ記念アラブグランプリ(金沢)であろう。全国の並み居る強豪相手に一向に臆する事無くレコードタイムで疾走、結果こそアタマ2着に敗れたものの、名古屋マリンレオの存在を全国に知らしめた瞬間だった。
今年度の出走レースで敗れたのはこのレースのみ。残りの地元戦では、4つの重賞を含む9戦9勝のパーフェクト。同世代のライバルだったブラウンダンディにも、今年度は4度も完膚なきまで叩きのめし、すでに敵無し状態である。
同馬にとって唯一の難敵だった持病の裂蹄癖。以前より思い通りのローテを使えないという悩みのタネであったが、蹄鉄の改良のおかげで今シーズン後半はこれまでになくすこぶる順調にレースを消化している。
使うレースのたびに同馬を管理する戸澤調教師は「(この時期に)全国交流重賞があれば…」と語るようにかなりの手応えを感じているようだ。
2001年度は大きな飛躍の年となったマリンレオ。2002年度は全国のアラブの頂点に立つ。
Comment by おーた
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(笠松)
クラボクモン
Photo by West Side 『名古屋杯』(1着) 2001.5.5名古屋
牡馬4歳 鹿毛 父ストローカーエース
【重賞勝ち鞍】 名古屋杯(01'名古屋) クリスタルカップ(01'名古屋) アラブチャンピオン賞(01'笠松) 中京スポーツ杯(99'笠松)
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クラボクモンにとって、2001年度は大きな転機から始まった。後方一気の末脚は同馬にとって最大の武器でもあるが、直線の短い笠松の馬場では常に差し遅れの危険性を伴う諸刃の剣。昇級に伴い取りこぼす事も多く、伸び悩む懸念材料に。
そんなモヤモヤを打破すべく、デビュー当初からたずなを取っていた坂井薫騎手から安藤勝騎手への乗り替わりが行われた。同馬を管理する岩崎調教師「新しい面を引き出してくれたら…」の思惑通り、乗り替わり直後は一転、二つのSP1重賞を含む4連勝。何れのレースでも他馬を圧倒する末脚でなぎ倒し、新生クラボクモンは、一躍東海アラブのトップホースの一頭として躍り出たのである。
そして、いよいよ名古屋の両雄マリンレオ、ブラウンダンディとの直接対決か、という矢先、安藤勝騎手の落馬負傷、そしてクラボクモン自身も9月の東海グローリ(4着)以降休養に入ってしまった。
残念ながら2001年度後半は不本意な形で終える事となってしまったクラボクモン。しかしその実力は既に折り紙付き。2頭の強豪との直接対決、そして全国交流重賞へと2002年度も期待度大のお馬さんである。
Comment by おーた
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(兵庫)
ワシュウジョージ
Photo by 江戸平多 『西日本アラブ大賞典』(1着) 2001.3.4佐賀
牡馬5歳 鹿毛 父ミスタージョージ
【重賞勝ち鞍】 園田金盃(01'園田) 摂津盃(01'園田) セイユウ記念アラブグランプリ(01'金沢)
兵庫大賞典(01'園田) 西日本アラブ大賞典(01'佐賀) タマツバキ記念山陽杯(00'園田)
新春賞(00'園田) 西日本アラブダービー(99'福山) 六甲盃(99'園田) 菊水賞(99'園田)
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押しも押されもしない、兵庫のいや全国屈指の実力馬。しかし何故か人気がないと感じているアナタ!それは何故でしょう?曽和&小牧のコンビが送り出す、まさに正統な園田の代表馬と言っていいはずなのですが他地区の人々からは特に評価が低いです。キラリ光る末脚はあるものの、全盛期のサンバコールのような瞬間移動の捲り足ではないし、かと言ってケイエスヨシゼンのような迫力にも些か欠ける。人馬一体のソツのない差し足は図ったように毎度毎度のワンパターンで、直線が読めてしまう感があるのと、身体的特徴があまりないのも印象を薄くしているのかもしれない。
むしろこの馬の最大のセールスポイントは無事是名馬を地でいく順調に使える体質で、だからこそ、いつも登場して同じように勝っているというシーンを見せ付けられることになり、アンチな人には一層敬遠されてしまうのだろう。どこかにもいますね!そんな馬が。^^しかしあの馬ほどの安定感はなくて、どこか倒し甲斐がないといった感もあります。まあ、生まれた時期がちょっと悪かったというのが一番ピンときますかね。
成績をよく見ればわかりますが、同世代以下には強いんですが、大一番でよく負けているんですよね。アキフジにサンダーにメグミにペルターにと、上の世代に。本来なら地元で上の世代の強豪に揉まれてそこを倒してこそ代表馬の座になれる訳なんですが、引退・故障・衰えと園田を支えていた多くの強豪達が消えたエアポケットにスッと入りこんだ印象が強いのです。
その辺が、強さも見せる反面コロっと負けてしまう要因のような気がしてならないし、倒し甲斐がないと思わせる所以なのかもしれません。長距離や極量でも力を出せる素晴らしいアラブで、サラ相手に完勝した園田金杯は多いに盛り上がったようなのでケチはつけたくないんですが、どこか‘斜陽のスター’‘没落貴族 最後の末裔’という感じがしてしまいます。
ただ、こんな憎まれ口を言える相手は全国探してもジョ〜ジ君くらいしかいないので、来年以降も新たな刺客を前にその存在感だけはなくさんといてや!
Comment by 栃ノ峰富士
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(益田)
ノアリュウオウ
Photo by ふさ 『2歳戦』(1着) 2001.6.17益田
牡馬2歳 鹿毛 父イチヤマオーカン
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益田のアラブを一頭紹介という事で色々考えて見ましたが、”将来が楽しみ”と言うことで、実績はありませんがあえて2歳馬のノアリュウオウを紹介します。
ノアリュウオウは、デビュー前から「同厩のノア(*4歳・現在は福山)より走る」と関係者が期待していた一頭です。その言葉通りデビュー戦は、持ったままで800mを50秒5と破格の時計で楽勝しました。その後夏負けの影響で3連敗しましたが、体調が戻った秋には1350mをA級を凌ぐ時計で復活しました。その後連勝を4と伸ばしその中には全日本アラブ2歳優駿5着のサイバーイットを下したレースも有ります。このまま無事に行けば3歳になり瀬戸内賞や全日本アラブグランプリと夢が広がります。
益田の2歳は全日本アラブ2歳優駿でも5着と健闘したサイバーイット、フェイトスターの全妹のフジノレーサー、共同購入馬ながら快速を誇るベイビイベイビー等の期待馬が揃っています。
「今益田に行くなら2歳馬を見るべし!」と私は断言できます。そしてコレは素人にもオススメ出来ます(笑)。
Comment by ふさ
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(福山)
ドリーミング
Photo by West Side 『金杯』(1着) 2001.8.15福山
牝馬5歳 鹿毛 父レオグリングリン
【重賞勝ち鞍】 アラブ王冠(01'福山) 鞆の浦賞(01'福山) 福山ダービー(01'福山)
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『上山から来た魔女…ドリーミング』
2歳時はデビュー戦を2着。その後4戦3勝して臨んだ若竹賞でマルハチフレンドの2着、その後東北アラブ3歳チャンピオンはヒナナマーチの2着で終えた。
3歳時は初戦のスズラン賞をマルハチフレンドには競り勝つもサファリルージュの2着。その後新潟遠征しての東北アラブダービーは牝馬で最先着もマルハチフレンドの5着。さらにその後の日本海記念、奥の細道大賞典は着外に終
わる。
5歳時は5月末からA級選抜、A1を連勝してA1級に定着。日本海記念でアオイリュウセイ、マルハチフレンドに続く3着に入り上山一線級でも好走を見せる。奥の細道大賞典は人気を落としていたがそれでもペルターブレーヴの5着に入線。
6歳時は前年の成績が嘘のように開幕以来掲示板がやっとの成績だったのが、夏に福山へ移籍して大変身。初戦でアレクシアを蹴落としてビーナス賞(特別:3歳上牝馬)出走権を得、そのビーナス賞ではコピエ、グリンティアラ、ムサシボウナナら福山の名だたる牝馬を返り討ちにして金杯の主催者推薦を奪取。
さらにホマレスターライツを3馬身置き去りにして金杯を制して田代師に初重賞をプレゼントすると、もう福山古馬勢に相手がいなかった。しかも近年の金杯勝ち馬は夏のサバイバル戦後の反動からか秋になって凡走を繰り返すパターンが多かったのだが彼女は違った。
福山菊花賞こそ長距離戦の疲労を嫌って回避したが「連戦連勝」「出れば勝つ」「無敗の魔女」など数々の形容詞とともに秋競馬を駆け抜けた。
7歳時は福山競馬の大一番、福山大賞典2600mに出走。初の2000m超のレースで不安視されたがここはフジナミスペシャルの2着に踏み止まった。しかし続くマイラーズカップはフジナミスペシャル、ユノワンサイドの4歳勢2頭に続く3着止まり。続く花市場賞もユノワンサイドの3着とここに来てやはり連戦の疲れが見られるが、秋競馬の実績を見ればまだまだ侮れない1頭だろう。
Comment by おさるさん
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(福山)
ユノワンサイド
Photo by ユーノすけ 『鞆の浦賞』(1着) 2001.10.21福山
牡馬3歳 鹿毛 父ホーエイヒロボーイ
【重賞勝ち鞍】アラブ王冠(01'福山) 鞆の浦賞(01'福山) 福山ダービー(01'福山)
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『本当に煮え切ったの?…ユノワンサイド』
11年ぶり7頭目の福山三冠馬ユノワンサイド。これまで23戦を消化して来ましたが当然ながらここまでの歩みは平坦ではありませんでした。
◇新馬戦 |
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好素質を認められつつも800mの忙しい流れが向かず3着 |
◇第 2戦 |
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1250m戦を下馬評以上の好時計で勝利、がぜん注目を集める |
◇第 5戦 |
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初の1組でやや評価を下げたがモノともせず勝利。ここで騎手が嬉騎手から石井騎手に変更 |
◇第 7戦 |
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「ニューヒーロー特別」初マイルも完勝、2歳王者へ大きく前進 |
◇第 8戦 |
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『ヤングチャンピオン』堂々の本命も伏兵ギャラクシアに差される |
◇第 9戦 |
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『園田・益田・福山交流特別』確勝を期して逃げを打つも逆に目標にされフジナミスペシャルに差され2着 |
◇第10戦 |
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初の古馬戦、逃げるノアを捉えるどころかつけ離されて3着 |
◇第11戦 |
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『キングカップ』逃げるフジナミスペシャルを最後まで捉えられずまた2着 |
◇第12戦 |
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「福姫交流」初遠征競馬で体重大幅減、充分に能力を発揮できずボールドヒリュウの3着。このあたりで”煮え切らない馬”の評判が定着 |
◇第14戦 |
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『福山ダービー』3番手評価を覆し2番手から抜け出し実に4ヶ月ぶりの勝利一冠目と楠賞全日本アラブ優駿優先出走権を得る |
◇第15戦 |
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楠賞全日本アラブ優駿』穴評価に留まっていたが、勝ったガバナマイウェーには及ばずもクールテツオーに先着する2着入線 |
◇第16戦 |
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初A級戦、スタッフはいろいろ課題を持って頑張っているけれど…でも2着 |
◇第20戦 |
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『鞆の浦賞』仕上げ8割でも自身初の3連勝で二冠目をGet。 |
◇第21戦 |
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『全日本アラブグランプリ』地元の期待を一身に背負い盤石の体制で挑んだが完全にかかってしまってレースにならず。ゴール前で最低人気のフジナミスペシャルに差され2着 |
◇第22戦 |
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『アラブ王冠』フジナミスペシャル以下を1秒ちぎる完勝で11年ぶり7頭目の福山三冠達成! |
◇第23戦 |
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『福山大賞典』本命視されるもまたかかってしまって末が甘くなりフジナミスペシャル、ドリーミングに次ぐ3着 |
3歳時から能力評価が高い馬であるが故に得た”煮え切らない馬”の評価。能力の高さは楠賞全日本アラブ優駿2着で示した格好も残念ながら一度得た評価を覆すには到らず。
特に大一番に相変わらず弱い!弱い!特にスローペースがからきしダメでちょっとペースが落ちると一方的に「オィ!そこ退いてくれんかのぉ」とばかりに先頭に立ち自滅を繰り返すのは…。
今後は強烈な逃げ馬モナクマリンの戦列復帰でスローペースの競馬をあまり考えなくて良いのは好材料ももう少し勝ちクラが多くて良いのでは?と思うのもまた事実。
好敵手フジナミスペシャルと共に福山古馬の屋台骨を背負って欲しい。
(父:ホーエイヒロボーイ)
80年代末〜90年代初に南関東で活躍した馬で37戦18勝(重賞5勝)。主な産駒にアキフジクラウン(福山)・ホーエチャンピオン(道営)・イセイチフブキ(高崎→金沢)・クールテツオー(兵庫)ら多数
(母:スマノセローナ)
90年代初に道営、中津で走って53戦8勝、ユノワンサイドは4番仔で初めての重賞勝ち産駒。佐賀所属のナイスパートナーは半妹。
母の父:スマノダイドウ
Comment by おさるさん
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(高知)
デルタフォース
Photo by もりも 『南国王冠』(1着) 2001.1.1高知
牡馬10歳 鹿毛 父エリモタイヨー
【重賞勝ち鞍】 南国王冠(01'高知) 南国桜花賞(99'高知) 南国梅花賞(99'高知)
南国王冠(97'高知) オーガストスプリント(96'名古屋)
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レースが九分九厘決まりかけたその時に、大外から1頭全く違う勢いで上がってくる馬それがデルタフォースでした。
デビューは1993/7/10に中央競馬でデビュー。ナリタブライアンやナムラコクオーなどが同期となります。その後、中央競馬から名古屋を経て1997年に高知競馬へやってきました。
スタート直後から最後方に位置取り、直線入り口から追い出すという極端な追い込み脚質 ということもあり展開に左右されやすく脆い一面もありましたが、はまった時の爆発力には目を見張るものがあり、高知競馬では、南国王冠・高知市長賞を2回、南国梅花賞 、南国桜花賞と重賞を4勝しました。
21世紀最初の重賞・第28回南国王冠・高知市長賞では、その年の4歳馬アポロスイセイ、チーチーキングなどを押さえ、古豪の存在感をアピールしました。
しかしその後、南国王冠で全てを出し尽くしたようにその剛脚も徐々に影をひそめるようになってしまいました。
不器用な一面を持ちながら、その唯一無二の武器に全てをかけた愛すべき個性派デルタフォースは思い出のレース南国王冠に出走した後、2002.1.7付けで登録を抹消しました。
Comment by もりも
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(佐賀)
トチノグレイス
Photo by 江戸平多 『九州アラブ王冠賞』(1着) 2001.5.6佐賀
牡馬5歳 栗毛 父トチノミネフジ
【重賞勝ち鞍】 九州アラブ王冠賞(01'佐賀) 九州アラブ王冠賞(01'佐賀)
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この馬が佐賀の代表というのはちょっと異論がある人も多いかもしれませんが、群雄活況の佐賀アラブオープン戦線の中、十分がんばっていると思うのでひとつよろしく。
デビューは岩手の地で、そこそこにがんばって岩手最後のアラブ4歳(当時)勢の1頭として重賞にも2度ほど出走していますが、全く目に留めた事もないほど印象は薄い馬ではなかったかと思います。北日本アラブ優駿には出走してなくて、当時はトチノミネフジ産駒ではイーシーキングが他地区初登場、ホマレスターライツよりも強いのか?というのが話題だったし、地元もダスティーやヒナナマーチ、ビクターリベロにモデル、グリーンマスクといった名の通った面々が揃っていましたしね。そんな訳でシーズン終了とともに、佐賀という新天地へ旅立つのですが、これは大正解だったのでしょう。
しかし、丁度力がついてきた時期だったとはいえ、一気に勝ち進んで重賞(=九州アラブ王冠賞)を勝つことになるとは思わなかったですねぇ。正直ここを勝ったという事でこの馬をちゃんと知るきっかけになった次第で・・。
スタイルは中段・後方からの差し、追いこみなので、キマルとなかなか魅せてくれます。馬格はあまりないですが、小さくはみせないし、個人的には好きなタイプですね^^。 その後もオープン一線級の中で堅実にがんばって、去年も再び九州アラブ王冠賞を制覇しました。夏以降一頓挫あったようですが復帰してから確実に良化してるので、この分だと、また5月のアラブ王冠賞では”キマッタ姿”が見れるような気がしてます。
やや一発屋な感もありますが九州内での交流競争が増えたおかげでこの馬にも活躍の場がたくさんあるのは嬉しい限りです。
Comment by 栃ノ峰富士
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(荒尾)
メグミダイオー
Photo by ぶらり、草競馬 『セイユウ賞アラブ大賞典』(1着) 2001.1.30荒尾
牡馬6歳 栗毛 父イムラツド
【重賞勝ち鞍】 セイユウ賞アラブ大賞典(01'荒尾) 東北アラブチャンピオン(00'上山)
紫桐杯(00'水沢) 北日本アラブ優駿(98'水沢)
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一昨年の秋に岩手を離れ、荒尾に新天地を求めたメグミダイオーでしたが、その移籍の際、こんな話があったそうです。
岩手では、頭打ちというわけではないけれど、サラ相手に高斤量を背負わされて走り続けるのはあまりにも酷だ。それならばいっそ、アラブがもっとのびのび走れる所へ・・・、ということで、馴染んだ岩手を離れることになったメグミダイオー。アラ系競走が残っている所は限られているのですが、その中からまず話が持ちかけられたのは、馬主さんのつてのあった佐賀。
馬のレベルも高いし、ダイオーの移籍先としてはまず申し分ない。そう考えて連絡したところ「今からの移籍だと、規定上、来年のセイユウ賞には出られない」という答えが返ってきたそうです。ダイオーはそのセイユウ賞に出たいからこそ移籍するわけで、それがダメなら意味がありません。
それでは仕方ない、と、今度はお隣の荒尾に連絡してみました。佐賀の関係者からは「荒尾も同じ規定ですよ」と言われていたので、ダメ元の気持ちです。そしてやはり荒尾からも「規定が・・・」との返答。これで九州への移籍はなくなった、と馬主さんは思ったそうです。
そこに、突然の電話。相手は荒尾の調教師会会長の平山と名のります。「今の話を聞いていた。こんな強い馬が来てくれるなら、俺が何とかしてみせる。だからぜひ馬を預からせてほしい」
あの時、荒尾の主催者に電話をかけた時に、そのそばに平山調教師がいなければ「荒尾のメグミダイオー」は誕生していなかったでしょう。ただ「強いから」だけではなく、「荒尾から話題を創り出したい」という思いもこめてダイオーを引き受けた平山師。翌年初春のセイユウ賞制覇はその思い入れがたぐり寄せた結果だったといえるでしょう。レースの結果自体は、ここに来る皆さんならよく御存知でしょうから、今改めては触れません。
個人的に印象深かったのは、メグミダイオーを含め3頭の地元の馬が先団を形成して直線にさしかかった時、場内実況が「荒尾の馬が先頭に立っています!」と高らかに声を上げた事でした。
さて、それから1年ちょっと経った今でも、メグミダイオーは荒尾のアラブではトップを争う存在であり続けています。佐賀のコースはちょっと苦手みたいだ。それに、佐賀に行ったら必ずといっていいほど競りかけられて・・・。と悩みも多いダイオーなのですが、これだけスタッフと、運とに恵まれた馬ですから、いつかまた大仕事をやってのけてくれるのでは、と思っています。
Comment by よこてん
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(中津)
ツキノコルドバ
Photo by ユーノすけ 『九州アラブグランプリ』(5着) 2001.6.17荒尾
牡馬8歳 鹿毛 父スマノダイドウ
【重賞勝ち鞍】 アラブ新春賞(01'中津) 益田競馬招待ガーネット特別(99'中津)
アラブ新春賞(99'中津) 中津菊花賞(98'中津) アラブ大賞典(98'中津)
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2001年にその長い歴史の終止符を打った中津競馬。中津競馬の最後のアラブの頂点がこのツキノコルドバ。元々兵庫競馬から移籍してきた馬である。98年の春に中津競馬へ移籍して、以降5つの重賞タイトルを含む12勝を挙げている。
しかしながら、中津競馬廃止と伴に荒尾競馬に移籍。これから新天地でもう一花咲かせて欲しいものである。
Comment by ぶらり、草競馬
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アラブのレースが無くなっても頑張ってます!
(栃木)
イーシーキング
Photo by ぶらり、草競馬 『天馬杯』(5着) 2001.11.11宇都宮
牡馬5歳 栗毛 父トチノミネフジ
【重賞勝ち鞍】 織姫賞(01'足利) とちぎアラブ大賞典(00'宇都宮) 日刊スポーツ杯(00'宇都宮)
天馬杯(00'宇都宮) 高崎観音賞(00'高崎) 日刊スポーツ杯(99'足利)
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栃木競馬はアラブレースを廃止したわけだが、サラブレッドに混じって頑張っている実力屈指のアラブが今も在籍している。イーシーキングだ。そして、もう一頭オープンクラスで頑張っているのはサカノブルショワ。
この両雄が年末に厩舎で雑談している時の会話全文を入手した。原文は無論栃木なまりの馬語である。
イーシー 「しかしさあ、去年の今頃ってまだ"とちぎアラブ大賞典"っていう賞金400万円レースがあったのに、なんだかここ1年間で随分と僕達にとっては肩身の狭い状況になってきたよねえ。」
ブルショワ 「そうだねえ。でも君は既にサラ相手の"天馬杯"と"織姫賞"で勝っているからハクが付いてるし、いざっという時はよその競馬場でも引く手あまたでしょ。僕なんか最近は内田さんもなかなか乗ってくれない状況で。。。つらいっすよ。」
イーシー 「よその競馬場っていえば、僕の宿命のライバルだったホマレスターライツ君は福山へ行ってから勝ち切れないレースが続いているみたいだなあ。彼に渇!を入れる為に僕も福山に転厩して。。。」
ブルショワ 「こらこら!シャレににならんでしょ、架空対談にしてもそういうことは!しっかし去年の"とちぎアラブ王冠"を勝ったデイオウルフ君も益田に転厩したけど結果が出ず早々に栃木に戻って来たし。。。世の中巧くは行かないもんだな。ホンネを言うとホマレ君がいなくなって指定席だった掲示板3着から脱出出来るかと思っていたのに。アラブレースが無くなってしまってはそれどころじゃないわ。」
イーシー 「まあまあそう弱気になりなさんな!僕も長期休養明けなんでまだ本調子に戻ってないんだけど、サラブレッド相手にもう一丁!って気持ちはあるんだぜ。まあ、見ててくれよ!」
以上は架空対談につき実際イーシーキングとサカノブルショワの対談を収録したものではありません(笑)。
あしからず。
Comment by ぶらり、草競馬
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引退。お疲れ様!
(兵庫)
ケイエスヨシゼン
Photo by West Side 『摂津盃』(1着) 2000.8.16園田
牡馬8歳 鹿毛 父ミスターヨシゼン
【重賞勝ち鞍】 摂津盃(00'園田) 兵庫大賞典(99'園田) 西日本アラブ大賞典(99'佐賀)
西日本地区招待アラブ大賞典(98'佐賀) 新春賞(98'園田) 山陽杯(97'福山)
兵庫大賞典(97'園田) タマツバキ記念名古屋杯(96'名古屋) 西日本アラブダービー(96'福山)
六甲盃(96'園田) 楠賞全日本アラブ優駿(96'園田) 菊水賞(96'園田)
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26年ぶりか何年ぶりかは詳しく知らんが、とにかくアサヒマロットという馬の次に園田で三冠馬になったのがこの馬や。そしてその年のNAR年度代表馬にもなった。しかしその時の気持ちを正直に言わせてもらうと「アラブやけど、三冠馬やから年度代表馬にせんとしゃーないか」やった。(そういいながら三冠目の六甲盃の単勝馬券は大事にしてるんやけれど)
しかし苦労しよったのは三冠取った後からやった。男勝りの女傑連中、山陰から来た強い馬、評価のわかれる現役最強馬・・・。次から次へと現れるややこしい連中相手にバッタバッタと倒したり倒されたり・・・。遠征もしたし、岩田と一緒によう頑張った。かの岡部幸雄がシンボリルドルフに競馬を教わったと言うてたけど、やんちゃな岩田が競馬を教わったのはこのヨシゼンであることは間違いないやろな。
この写真は摂津盃の時のものやけど、ワシはこのレースでは永島騎手を応援してたのでシャインマンリーの単を1万円持ってた。おかげでゴール前の接戦は妙な気持ちになったのを覚えてる。正直どっちにも勝たせてやりたかった。結果はご存知のとおり同着になって、配当は激減してしもうた訳やけど、なんか嬉しかったなあ。永島には「おめでとう!」やったけど、岩田には「ありがとう!」と声をかけたことを覚えてるわ。
そろそろ引退かというときには、ニホンカイユーノスとドロドロとした生き残りゲームがあったらしいけど、ワシらはそんなことを知る必要は無い。馬にもワシらにも関係無いことやからな。まっ、そのおかげでここまで走ってくれることになったんやから素直に喜んどこか。
引退もせず、最後の最後まで懸命に命を削りながら、そのプライドを賭け満身創痍で走ってきた・・・。なんぞ書けば感動的なんやけど、その実際はパドックの周回しかりで、走ってるときも舌をベロベロだして走ってた。「最後の兵庫大賞典が1870やなくて2400なら重賞13勝してた」なんて言われてるが、あの舌さえ括(くく)ってたら13勝どころか20勝はしてたのは間違いない。
引退式の日には大勢のアホ・・・いやファンが平日の昼間にもかかわらず集まってくれた。蛍の光の音楽も泣かせる。吉田アナのナレーションも泣かせる。テキのばあちゃんが好物のタンポポをわざわざ土手から採ってきてヨシゼンにやってた、なんてエピソードも泣かせる。いつもの様にベロベロとしながら飄々と走る姿も泣かせる。観客のあたたかい拍手も泣かせる。鞍上の岩田も泣かされた。ワシらも泣かされた。みんなが泣いたエエ引退式やった。
そやから彼には三冠の時より、晩年 いや引退式の日にこそ年度代表馬の称号を与えてやって欲しかった。頑張って愛されて・・・間違いなく年度代表馬に相応しい馬やったと思う。
(ケイエスヨシゼン生涯成績:64戦25勝)
Comment by 山ちゃん
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引退。お疲れ様!
(福山)
アキフジクラウン
Photo by くもぎりまる 『セイユウ賞アラブ大賞典』(1着) 2000.3.5佐賀
牡馬6歳 栗毛 父ホーエイヒロボーイ
【重賞勝ち鞍】 セイユウ賞アラブ大賞典(00'佐賀) 福山大賞典(00'福山) 福山菊花賞(00'福山)
福山桜花賞(99'福山) ローゼンホーマ記念(99'福山) 鞆の浦賞(98'福山) 福山ダービー(98'福山)
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『ミスター▲…アキフジクラウン』
アキフジクラウンは「勝つまでは到らないかも知れないが、かといって無視も出来ない」という不思議な馬だった思う。
思えばデビューが遅かったため3歳時(以下旧表記)は多数いる3歳馬の内の1頭でしかなく、4歳時は後の楠賞馬タッカースカレーをホーム&アウエーで負かしたミヤノウイナーが栗毛の派手な馬だった事もあってあまりに印象が強く福姫交流後のリタイヤ発表時は思わず天を仰いだほど。
したがって選抜戦優勝でやっと福山ダービー出走権を確保したぐらいの馬だった同馬は全くのノーマークで逆に『この間の福山ダービーを勝ったアキフジクラウンってどんな馬?』と問い合わせを受けるほど。さらに福山代表として挑んだ楠賞全日本アラブ優駿は過去の福山代表馬の例に漏れず穴人気したあげくの5着、鞆の浦賞を勝って二冠馬として挑んだ西日本アラブダービーでは掲示板を外すていたらく。
こうなってはアラブ王冠当日の競馬新聞に『目指せ三冠!』と活字が踊っても盛り上がれるハズもなく結果も栃木3歳王者マジックフエルド、岩手3歳王者マツノホープ、福山3歳王者ボールドインターに次ぐ4着に破れ、案の定というかこれで福山三冠の価値が下がらなくて良かったと胸をなで下ろしたもの。
5歳春にローゼンホーマ記念、福山桜花賞と重賞連勝したが、実はまだA1格付けでは無くA2からの挑戦者の立場。当時は道営からの転厩後無人の野を>行くがごとくA1戦連勝中のステイブルラインや97年NAR最優秀アラ系3歳の看板を持つマツノホープらの方が高い評価だったのも事実。特にステイブルラインは「良馬場を万全の体制なら余裕で勝てる」と言っても
説得力を持つだけのものがあった。
福山のトップ級になったと言えるのは5歳の秋になってから。実際に福山菊花賞と年が明けての福山大賞典はかなり強いレース内容だったと思う。筆者は福山菊花賞の口取りに紛れているがレース直後のアキフジクラウンは息づかい荒く近寄りがたいものがあり、その時はレースの激しさを強く感じた。
ただその時点でも正直なところ全国入着級程度の実力評価。
年改まり6歳で福山大賞典を勝ち名実ともに福山の王者となって臨んだ山陽杯(園田)は3着止まり。これもレースを見て案の定と思ったが1870mは同馬にとっては短距離戦、次のセイユウ賞(佐賀)こそは2400mの得意距離ということで無様な競馬にはならないだろうが同時に同じくセイユウ賞に兵庫代表として出走するこのレースの勝ち馬ワシュウジョージを逆転するのは難しいだろうなとも感じた。
そして全日本セイユウ賞アラブ大賞典を見に前日佐賀入り私に向かって皆が言った『ワイドがあったらアキフジクラウンから入るのに』には私自身も正直全く同感でありそれぐらい前年の楠賞1、2着馬のホマレスターライツ、ワシュウジョージの5歳2騎の評価は非常に高くてレースを前に岡田騎手が相当な自信を表明したという話を聞いても「いや〜例によっての大フロシキ」と意に介さなかった。
ところがレースは向正面からの早めのロングスパートでワシュウジョージ、ホマレスターライツと本命どころ2騎を後ろに従えての1着!実に92年楠賞のムサシボウホマレ以来となる全国交流レースでの福山代表馬の勝利だった。
その後凱旋レースとして福山桜花賞に出走したが留守の間にローゼンホーマ記念を制したパッピーケイオーの方が人気を集める始末でレースもパッピーケイオーの3着止まり。夏になって世羅西へ放牧に出されたとの報が競馬新聞紙上に出たが結局体制整わず1年後に引退が発表された。
結局アキフジクラウンは斬れる脚が無く派手では無かったこともあり、5歳秋の福山菊花賞までに重賞で1番人気に押されたのは1回(鞆の浦賞)のみだがスタミナタイプらしい粘っこい走りで掲示板を確保するタイプだったなと。
今にして思えばセイユウ賞の前に言われた「ワイドだったらアキフジクラウンだよなぁ」というのが同馬のキャラクターを如実に表しているのかも知れない。
(アキフジクラウン生涯成績:40戦17勝)
Comment by おさるさん
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