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Column !
私と益田競馬の2年半 (中編)
Column and Photo by ふさ
4007番目の訪問者です  (2004.1.1up)  

 ネットファン賞の2週間後、私は再び益田競馬場に足を運んでいました。この日はノアの復帰戦の日でした。もちろんノアは休み明けのレースをきっちり勝利しました。
 その後、厩舎で馬主さん、岡崎先生、秋元騎手と何故か私で作戦会議が行われました。議題はノアがセイユウ賞へ出馬するか否かでした。
 私の意見は「ノアの能力なら恥ずかしい競馬にはならない、出走して欲しい」でした。馬主さんと岡崎先生は、どちらかと言うと出走否定派でした。秋元騎手は、出走要綱をまじまじと読んでいました。口こそには出しませんが、きっと遠征したかったのだと思います。
 出走申込書を前に置いて長い間話し合った結果、2、3日後のノアの脚の状態を見て出否を決めると言う事でした。3日後、馬主さんから教えて頂いた結果は、「休養明けから時間があまり経っていないので、無理をしたくないので回避する」と言うものでした。

 ノアに代わって、ネットファン賞を勝ったモナクホクトがセイユウ賞に出馬することになりました。


デイオウルフ(新春特別)
デイオウルフ(新春特別)
 この頃、益田に他地区から大物が転入してきたと話題になっていました。この年の栃木4歳チャンピオンのデイオウルフでした。
 転入緒戦は圧倒的一番人気を背負って結果は3着・・・。私もVTRを見ましたが、余裕の手応えで逃げたものの直線で全く伸びず。
 予想屋さんに話を聞いてみましたが「大物と聞いていたので、思いっきり本命にしていたのだが・・・。」と苦笑していました。
 私は「正直、ノアの敵ではないな」と思いました。

 直接対決は案外早く、年が明けての新春特別でした。結果はノアの圧勝でデイオウルフは4着でした。私も2着には来るだろと思いましたが、見事に期待を裏切られてしまいました。
 関係者もこの結果はショックだったのか、わずか2戦で栃木に帰ってしまいました。

 レース後、正月という事でノアにお年玉として人参とリンゴを持って行きました。ノアはリンゴが嫌いと言う事でしたが、人参は喜んで食べていました。
 ノアは、この後斤量が重くなることもあり福山に移籍しました。

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 翌日の日本海特別は、ニホンカイマリノが勝ちました。姉キャロル、兄ユーノス、弟プリウスに次ぐ兄弟での同一重賞制覇は話題にもなりました。実は自分もこのレースを見に行く予定でしたが、見事に寝過してレースを見ることが出来ませんでした。


モナクホクト(荒尾・セイユウ賞)
モナクホクト(荒尾・セイユウ賞)
 1月の終わりには、荒尾のセイユウ賞にモナクホクトの応援に行きました。
 戦前の予想では「全然ペース着けなくて悲惨な結果に終わるのではないか?」と思っていましたが、予想に反し最下位ではなく3頭に先着をしての8着でした。
 4コーナー半ばまでは、中段グループについて行けたので一瞬夢を見ましたが(笑)、現実は甘く無く全国のアラブの強豪に離されて行きました。

 2月の頭には、ノアの福山転厩初戦がありました。私も東京から応援に駆け付けました。
 私はその実力からダントツの1番人気になると思っていましたが、何と後の福山三冠馬となるユノワンサイドに次ぐ2番人気でした。
 新聞を読んでいるとあまり良いコメントは書いてなく、私は「ノアが福山の最下級のC2で低評価かよ!」と半ば怒っていました(笑)。
 レースは道中鞍上と喧嘩しながらも、最後の直線ではユノワンサイドを一旦引き付けて突き放して勝つという内容でした。勝ったとは言え、道中で鞍上と喧嘩していたレース振りは今後に不安を残すものでした。その不安は後日的中します。

 次の日の福山では益田・福山交流特別が行われ、デラウェアーが勝利し2着にもトウカイランランが入線して、益田の1・2フィニッシュを決めました。
 2月の休催中には中津で九州・益田交流のガーネット特別が行われサチエノグロリーが勝利、モナクホクトが2着とまたも益田の1・2フィニッシュとなりました。
 この時私は、仕事の都合で現地に行けなかったのですが、サチエノグロリーとモナクホクトの馬複が40倍以上付いていたので、今すぐ現地に馬券を買いに行きたい気分でしたが、それも叶わず結果を見て悔しい思いをしました。
 なお、この後サチエノグロリーは、連闘で佐賀の西日本アラブ大賞典で4着と大健闘。モナクホクトは荒尾に移籍しました。

 2月の中旬にノアの応援に再び福山に足を運びましたが、ここでまさかの3着。まさか最下級のC2でノアが負けるとは思いもしませんでした。その日はかなりショックでへこんだ記憶があります。
 その後ノアは2勝しかできず。6月のB1での6着を最後に益田に戻りました。


グリーンマスク(益田デビュー戦)
グリーンマスク(益田デビュー戦)
 休催期間が終わり久しぶりに益田に行ってみると他地区から大物が移籍してました。岩手からやってきたグリーンマスクでした。
 岩手在籍時には重賞も勝ち、アラブ競走廃止後もサラ相手にB1クラスで健闘していました。
 転入初戦から勝利し、その後も息の長い活躍をして平場での着外は4回と安定していましたが、残念なことに重賞になると成績が振るいませんでした。

 その他にも休催明けに伴い新たな出会いがありました。
 ノアの馬主さんに一頭の2歳馬を見せてもらいました。その馬はノアリュウオウでした。馬主さんも岡崎先生も「ノアより走るぞ」と言っていたのが印象的でした。確かに筋肉質な体で走りそうな馬体でしたが気性が荒く私は怖くてあまり近づけませんでした。


セリーセクレタリー
セリーセクレタリー
 それと念願だったセリーセクレタリーのレースも見る事が出来ました。
 セリーセクレタリーは、外国産馬で中央2戦未勝利に終わり、有名な蹄鉄師の元で怪我を治し1年半後に見事復帰し益田で16連勝を果たしました。
 この復活の模様はTV番組になったそうで一部のファンの間でも有名だったようです。
 私も噂には聞いていたので一度は見てみたいと思っていました。
 残念ながらそのレースでは負けてしまいましたが、外国産馬らしい立派な馬体をしてスピード感ある走りをしていました。
 ただ気性が荒いと言うか幼い感じがして全能力が発揮できない感じで勿体無い感じがしました。

 それと休催明けの一番の話題は、中津競馬の廃止問題でした。「益田も中津の様になるんじゃないか」と言う不安になるような声が聞こえてきました。


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 4月になると、私の東京への出向も解除され広島に転勤となり益田への移動も楽になり足を運ぶ回数も自然と増えて行きました。
 それと4月から騎手の引退、落馬負傷などで、騎手が足らなくなり、高知から応援騎手として堅田騎手が岡崎厩舎にやってきました。初めて見た印象は、騎乗フォームは綺麗だけど何かが足らないなぁと言う感じでした。
 4月の終わりには、益田競馬にて女性騎手最多勝の記録を持つ吉岡牧子さんが来場してみどり賞が行われました。私はこの日まで吉岡さんは学校の先輩だと思っていましたが、実際に聞いていると私の学校の元分校(現在は別の学校として存在)の卒業という事でした。吉岡さんは、この日誘導馬に騎乗してレースを盛り上げてくれました。


小田部騎手in益田
小田部騎手in益田
 5月辺りから、騎手不足解消の為に、廃止問題で揺れていた中津の騎手が応援騎乗に来てくれました。ミーハーな私は小田部雪騎手が益田に来た時は、ちゃんと競馬場に足を運びました。(笑)
 レース後厩舎で勝負服以外の服を着た小田部騎手を見た時は、ちょっと感激モノでした。(笑)

 6月になると、ノアが福山から帰ってきました。久しぶりの対面を果たす事ができました。一息入れてレースに戻ると事で、非常に楽しみでした。

 それと6月からは新馬戦が始まりました。
 この年の新馬は、前記のノアリュウオウをはじめ、フェイトスターの全妹のフジノレーサー、共同購入馬ながら快速を誇るベイビイベイビー等の期待馬が揃っていました。
 私はノアリュウオウのデビュー戦を見たのですが、なんと回って帰ってきただけで50秒5と言う破格な時計で楽勝でした。レース後騎乗した岡田騎手も「追っていたらレコード出ていたね」と褒めていました。
 実はこのレースは本来なら、秋元騎手が騎乗する予定でした。その秋元騎手が前の週にある事を起こし騎乗停止になってしまい、急遽岡田騎手が騎乗する事になりました。秋元騎手はデビューを一週延ばしてくれてとお願いしたようですが、岡崎先生は却下した模様です。(笑)


ノアと堅田騎手(松風賞)
ノアと堅田騎手(松風賞)
 楽しみにしていた、ノアの復帰戦は何と私が金沢にセイユウ記念を観戦に行った日でした。
 初コンビとなった堅田騎手を乗せたノアはもちろん楽勝。当日のメインは秋元騎手騎乗のユタカガールが勝ち、岡崎厩舎は祭り状態でした。私は「金沢に行って失敗だったね。」でした。
 ノアは7月になっても順調に勝ち星を重ね、日本海特別の出走権を得る事が出来ました。

 8月には日本海特別が行われました。私はノアの勝利を信じて疑って居なかったのですが、掛かってしまってまさかのニホンカイマリノの4着。ノアが益田で負けると言うのがショックでたまりませんでした。
 さらに、ヘイセイダンデーが5位入線後、心臓麻痺で死亡してしまいました。真夏の2200m戦がいかに過酷かを思い知らされ悪夢の様な一日になってしまいました。
 レース後、秋元騎手がヘコんでいて厩務員さんと一緒に励ましていた記憶があります。

 9月の秋競馬の開幕からノアは出走しました。ノアは秋元騎手を背に前回の敗戦を見事に払拭する勝利でした。私は前回の敗戦を人馬とも引きずって居ないか心配でしたが、問題は有りませんでした。
 9月末の準重賞レベルの松風賞にもノアは出走し、この日は久しぶりに堅田騎手が騎乗し勝ちを収めました。レース後、堅田騎手の表彰式の姿をカメラに納めようと表彰台の近くに行くと、何故か馬主さんがいません。すると岡崎先生が私に「すまん、ちょっと出てくれ」と言われ。代理で表彰式に出席しました。
 何も聞いてなかったので、Tシャツ、短パン、サンダルでした。恐らく日本の競馬史上でこの格好で表彰を受けた人間は私が最初で最後でしょう(笑)。馬主さんの御厚意により松風賞の盾を頂きました。今でも部屋に飾っており大切な宝物です。この後、ノアは福山に再び移籍しました。


ヤマトニセン(まほろば賞)
ヤマトニセン(まほろば賞)
 10月には福山からJRA補助馬を招いてまほろば賞が行われました。
 福山からは重賞勝ち馬のギャラクシアなど強力なメンバーを招いて益田勢は不利かなと思っていましたが、勝ったのは御神本騎手が騎乗したヤマトニセンでした。
 ヤマトニセンは距離不安があったのでノーマークでした。前半を抑えて後半の末脚にかけた御神本マジックを見た瞬間でした。

 11月の重賞・鴨島特別は前年の1800mから2200mへ変更されて行われ、エスペラントタカシが勝ちました。福山転入後未勝利が続いた馬にあっさり重賞を持っていかれるのは、かなりショックでした。

 12月の頭には、益田大賞典が行われ、佐賀からの応援騎手永尾騎手騎乗のカワイイラブチャンが低評価を覆し見事に逃げ切り勝ちを収めました。
 この頃、ノアは順調にB級を勝ち進みA級が見えてきました。そんなわけでこの時期は益田に行くことより福山に行くことを優先し、年末には益田に脚を運びませんでした。

 年明けから益田競馬の周辺が騒がしくなっていきました。 (続く)


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